『道北の旅Ⅱ』-道の駅・おびら鰊番屋-
こんにちは、ご訪問頂きありがとうございます。
今回から「道北の旅Ⅱ」シリーズを始めます。
かねてから一度は登ってみたいと思っていた「利尻山登山と利尻島・礼文島観光地巡り」を今年(2019年(令和元年)7月)ついに実現することができました。
その旅の様子をこの新シリーズで紹介していきます。
初回の今回は、「道の駅・おびら鰊番屋(にしんばんや)」です。
「善は急げ」、「行くと決めたら即実行」がモットーの私です、当日は早起きをして持ち物などの再点検を済ませ早々に出発しました。
道北地方の天気予報によるとまずまずの好天が続く予報で、夏の青く穏やかな日本海を眺めながらのドライブを外す理由は何もありません。
ですから自ずからフェリー港のある稚内までの行程は、石狩国道から増毛国道、オロロンライン(国道231号線~232号線)を走るコースをチョイスということになります。
それは稚内方面へ旅する時の私の定番のコースで、「道の駅・おびら鰊番屋」もまた定番の休憩地になっています。
道の駅・おびら鰊番屋の傍には、以前紹介しました「国指定重要文化財・旧花田家番屋」もあります。
今回の旅は利尻島へ渡るフェリーの出発時刻の関係で、私の旅としては珍しく時間に余裕がありました。
それで、これまで寄りたくても時間がなく止む無く断念していた施設などにも立ち寄り見学することができました。
道の駅おびら鰊番屋の向かい、国道を挟んで海側には「にしん文化歴史公園」があります。
そこではトワイライトアーチと松浦武四郎像が今回も出迎えてくれました。
トワイライトアーチの台座には松浦武四郎がこの「鬼鹿(おにしか)」の地に立つ寄った際に詠んだ短歌(「名にも似ず すがたやさしき女郎花 なまめき立てる おにしかの里」)が刻まれています。
※女郎花…オミナエシ、合弁花類オミナエシ科オミナエシ属、多年生植物、秋の七草の一つです。粟花(あわばな)・思い草(おもいぐさ)とも呼ばれ、薬草(薬効:消炎・利尿)でもあります。
また、「三船遭難慰霊之碑」もあります。
三船殉難事件は、1945年(昭和20年)8月22日に留萌沖で樺太からの引き揚げ者を乗せた「小笠原丸」「第二号新興丸」「泰東丸」の3隻がソ連潜水艦の砲雷撃を受け多数の死者を出した事件です。
小笠原丸は、1910年(明治43年)に長崎県池島付近で遭難したロシア船を救助し乗員100名を救出した船であり、また昭和の大横綱大鵬幸喜氏が幼少の頃母親と共に樺太から北海道へ引き揚げた際に乗った船でもありました。
幸いにして今回は、ショップ部分(小平町観光交流センター)が営業している時間帯に立ち寄ることができましたので、その中にも入ってみました。
小平町観光交流センターでは、小平町の特産物などのお土産品が販売されていました。
また、「歴史文化保存展示ホール」があり、鰊漁で賑わっていた頃の小平町の写真やミニチュア模型などが展示され、小平町の歴史が学べるようになっています。
「親方の間」は畳が敷かれた休憩コーナーで、ドライブの途中で靴を脱いで手足を伸ばせるくつろぎの場となっています。
※ ウィキペディアフリー百科事典「にしん文化歴史公園 」、「三船殉難事件」、「小笠原丸」、「女郎花」、「大鵬幸喜」を参考にさせて頂きました。
ご訪問頂きありがとうございました。
今 回 👉 苫前町郷土資料館
※青字部分をクリックすると、そのページが表示されます。
※これまで掲載した記事をご覧いただくには、「ホーム」ページの「インデックス」をご利用ください。