『北海道開拓の村』-旧青山家漁家住宅-
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今回は,「旧青山家漁家住宅 (きゅうあおやまけぎょかじゅうたく)」を紹介します。
青山家漁家住宅は、小樽の祝津にしん漁の三大綱元「青山家・白鳥家・茨木家」の一つの「青山家の本邸」※1 が移設されたものです。
国の登録有形文化財に指定され、小樽市にある「にしん御殿小樽貴賓館(にしんごてんおたるきひんかん)」は、「青山家の別邸」※2 になります。
※鰊粕や鰊油製造に使われた圧搾機です(上の画像↑)。大きなかまどの上の大釜で鰊を茹で、その横にあるてこを利用した絞り機で油を搾り、残ったものを取り出し乾燥させて鰊粕となります。
青山家は1859年(安政6年)に山形県から北海道に渡り、小樽沿岸を中心に「鰊建網(にしんたてあみ)」※3 などを経営した漁家です。
にしん漁で賑わっていた当時の小樽市祝津などの様子について詳しくお知りになりたい方は、「北海道有形文化財鰊漁場建築」(1960年(昭和35年))に指定された「小樽市鰊御殿(おたるしにしんごてん)」を訪れてみてはいかがでしょうか。
その館内には、「鰊漁(にしんりょう)や鰊加工(にしんかこう)」※4 に使われていた道具類や、番屋で暮らした人々の様子の写真等が多く展示されています。
※1 青山家の本邸・・・本住宅の他にも、出身地である山形県遊佐(ゆざ)町青塚に「旧青山本邸」(国の重要文化財に指定)があります。遊佐(ゆざ)町青塚の貧しい漁家に生まれた「青山留吉」が北海道で功を成して得た巨万の財で故郷に建てた邸宅です。
※2 青山家の別邸・・・旧青山家別邸(にしん御殿小樽貴賓館)は、青山家の3代目娘・政恵が巨万の富を元に建築した豪邸です。
※3 建網・・・定置網の一種です。袋網(ふくろあみ)部・囲網(かこいあみ)部・垣網(かきあみ)部の3部などから成っています。海岸から沖合に向けて垣網を張り出すことで魚の進路を誘導し囲網や袋網に向かうような構造になっています。
※4 鰊 漁(にしんりょう)や鰊 加 工(にしんかこう)
(1)鰊 漁
鰊漁の漁場は、1890年(明治23年)頃から1917年(大正6年)頃までは富山県沿岸から秋田県沿岸でした。年々漁場が北上して1920年(大正9年)頃には青森県沖から北海道へ北上し、青森県沖も1923年(大正12年)には不漁になりました。
1910年(明治43年)以降には、北海道沿岸(小樽から稚内にかけて)の漁獲量が急増しました。しかし、1953年(昭和28年)から減少し始め1955年(昭和30年)には激減しました。
(2)鰊 加 工
江戸時代から明治時代には食用の他に、「鰊粕(にしんかす)」に加工され北前舟で本州に運ばれ菜種・藍・綿花などの肥料として利用されていました。
卵の塩蔵品が「数の子(かずのこ)」です。「身欠きにしん」は冷凍・冷蔵技術などが発達していない時代の山間地での重要な食材となっていました。
「母屋(番屋)」の他に「文庫倉」「米倉」「網倉」など6つの施設が立ち並んでいて、多くのヤン衆を抱えた当時の暮らぶりや漁の規模を知ることができ、また貴重な遺構となっています。
2014年(平成26年)9月29日から放送されたNHK連続テレビ小説「マッサン」(出演者:玉山鉄二、他)のロケ地(漁師の網元・森野熊虎(風間杜夫)が建てた「鰊御殿(にしんごてん)」)にもなっています。
※ ウィキペディアフリー百科事典「青山家漁家住宅」・「鰊漁」・「ニシン」・「鰊粕」、「遊佐町ホームページ:国指定重要文化財 旧青山本邸」、「遊佐鳥海観光協会ホームページ:遊座町・旧青山本邸 」、「北海道開拓の村ホームページ」を参考にさせて頂きました。
ご訪問頂きありがとうございました。
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