『宗谷本線駅巡り』-音威子府駅-
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今回は、「音威子府駅(おといねっぷえき)」(中川郡音威子府村字音威子府509番地)を紹介します。
前回紹介しました「咲来駅(さっくるえき)」を後にして、国道40号線を北上します。
約4㎞ほど進むと信号機のある交差点がありますので、そこで右折します。そして、道なりに進みますと本駅々前に着きました。
本駅の大まかな成り立ちについて紹介します。
・1912年(大正元年):鉄道院宗谷線の一般駅として開業する。
・1914年(大正3年):宗谷線・本駅-小頓別駅(しょうとんべつえき、※1)間が延伸され開業する。
・1919年(大正8年):名寄機関庫音威子府分庫が設置される。
・1921年(大正10年):跨線橋が設置される。その後、名寄(なよろ)機関庫音威子府分庫が音威子府機関庫になる。
・1922年(大正11年):天塩線(てしおせん、※2)・本駅-誉平駅(ぽんぴらえき、※3)間が開業する。
・1930年(昭和5年):音威子府機関庫が名寄機関庫音威子府分庫になる。
・1949年(昭和24年):日本国有鉄道(国鉄)に継承される。
・1970年(昭和45年):チップ工場(※4)が完成し、チップサイロ用専用線が敷設される。
・1971年(昭和46年):駅裏にシェル石油油槽所(せきゆゆそうじょ、※5)が完成し、専用線の使用が開始される。
・1978年(昭和53年):名寄機関区音威子府支区が廃止される。
・1984年(昭和59年):貨物・荷物扱いが廃止される。駅裏のシェル石油油槽所が本駅貨物取扱い廃止と共に閉鎖される。
・1987年(昭和62年):国鉄分割民営化によりJR北海道に継承される。
・1989年(平成元年):天北線(てんぽくせん、※6)が廃止される。
・1990年(平成2年):駅舎が改築される。
1面1線単式ホームと1面2線島式ホーム、合わせて2面3線をもつ地上駅(社員配置駅)です。
みどりの窓口は設置されていますが自動券売機が設置されていないため、近距離切符・入場券をみどりの窓口で購入します。その営業時間外は、無人駅と同様の扱いになります。
天北線廃止後、音威子府村の予算によってそれまでの木造駅舎から交通ターミナル駅舎に改築されました。
※1小頓別駅・・・枝幸郡中頓別町字小頓別にあったJR北海道・天北線の駅です。1989年(平成元年)に廃駅になりましたが、急行「天北」の停車駅でした。
※2天塩線・・・「天塩線」という路線名は、歴史的に何代かに渡っていくつかの路線で使われてきたようです。ここでの「天塩線」は2代目に当たるようで、「音威子府-問寒別間の旧称(1922年~1924年)」、後に「天塩北線」開業によって「天塩南線」に改称されました。3代目「天塩線」は、「音威子府-稚内(現・南稚内)間の旧称(1926年~1930年)。その後、北見線(後の天北線)分離に伴い宗谷本線に編入されました。
※3誉平駅(現・天塩中川駅)・・・1922年(大正11年)に鉄道省天塩線・音威子府-誉平駅間開通に伴い一般駅として開業し、1951年(昭和26年)に「天塩中川(てしおなかがわ)駅」に改称しました。
※4チップ工場・・・木材(桜、ヒバ、杉、ヒノキ、広葉樹など)を切削または破砕してチップと呼ばれる木片を製造する工場。ガーデニング資材、製紙材料、バイオマス燃料、燻蒸などに用いられます。
※5油槽所・・・ガソリン等の石油製品を一時的に貯蔵し、タンクローリーに積み込む設備を持った施設。
※6天北線・・・日本国有鉄道(国鉄)及びJR北海道が運営していました鉄道路線。「音威子府駅」から宗谷本線と分岐し、枝幸郡中頓別町(えさしぐんなかとんべつちょう)・宗谷郡猿払村(そうやぐんさるふつむら)を経て稚内市「南稚内駅」で再び宗谷本線に接続していました。国鉄再建法の施行により第2次特定地方交通線に選定され、1989年(平成元年)に廃止されました。
※ ウィキペディアフリー百科事典「音威子府駅 」、「小頓別駅」、「天塩線」、「誉平駅」、「チップ工場」、「油槽所」、「天北線」を参考にさせて頂きました。
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